『エターナル・サンシャイン』

 ロン・ハワード監督、ジム・キャリー主演の恋愛映画で『エターナル・サンシャイン』という作品がある。結構有名な作品で、この映画が好きな日本人も多い。この映画は Eternal Sunshine of the Spotless Mind というのが正確な原題で、このワードをググるとすぐにこれがイギリス古典主義を代表する詩人アレクサンダー・ポープの「エロイーザよりアベラールへ」(“Eloisa to Abelard”)という書簡体形式の詩からとられたものであることが分かる。映画の重要なシーンというか、映画そのもののテーマを象徴するものとしてポープの詩が据えられており、作中ではヒロインが実際に Eternal Sunshine で始まる数行を引用するシーンがある。
 と言っておきながら、私は映画を観ていないのだが、個人的にポープという詩人が非常に好きなのと、いま住んでいる場所からしてこの映画の冒頭で主人公が飛び乗るロング・アイランド鉄道とモントークというニューヨーク州最東端の地が馴染み深いので、ちょっと気になって引用された詩を調べてみた。すると、日本語のブログなどではこの詩の訳が載っていたりするのだが、どうもそれが原文と全然噛み合わない、まったく別物といっていいものになっている。日本語訳も一応出版されているので、それを参考にしているのかとも思ったが、あまりに酷い訳なので、おそらく映画についていた日本語字幕をそのまま引用しているのではないかと思われる。ちなみに原文は以下の通りである:
How happy is the blameless vestal's lot! 
The world forgetting, by the world forgot. 
Eternal sunshine of the spotless mind! 
Each pray'r accepted, and each wish resign'd; 
 さて、これはいきなり意味を取ろうとすると難しい。これが「エロイーザよりアベラールへ」という書簡体詩の一部であるという文脈を踏まえなければならない。エロイーザとアベラールと言えば、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』の元ネタとして有名な悲恋の物語。家庭教師のアベラールが生徒のエロイーザに手を出して結婚しちゃうんだけど、世間にバレると二人の立場がまずいのでエロイーザに修道院に入ってもらうという話で、二人はそこで手紙をやりとりする。で、いろいろあった末にエロイーザはもうアベラールのことは忘れて修道院で聖女として一生を終えることを決心するのが上記の引用のあたり。だからここでは、現世での愛を諦めて神への愛に生きる決意が語られているのである。私訳してみると――
幸いなるかな、汚れなき女神ウェスタの住まいし処!
そは浮き世を忘れ、忘らるるがために。
翳を知らぬ心は永遠に輝く太陽が如し!
あらゆる祈りは聞き届けられ、浮き世の望みは捨て去られん。 
一行目の vestal は古代ローマで信仰されていた処女神で、ヨーロッパ系の文学では神に仕える聖女達の守護神のような感じでしょっちゅう言及される。「ウェヌスの住まう処」とは、聖女たちが世間を忍ぶ修道院のことである。
 二行目は詩にありがちな倒置が起こっていて、主語は前文の vestal's lot あるいは文意からしてそこに住まう聖女(エロイーザ)。文意を補足してパラフレーズすると、The blameless vestal's lot is happy, for it forgets the world and forgot by the world. という形になる。前文の「修道院はなんと幸福な場所だろうか!」という断定を受けて、「というのも、世間を忘れ、世間に忘れられているのだから」と理由を説明・補足している。ようするに浮き世のよしなしごと(エロイーザにとってはアベラールへの思い)に煩わされることがない、という意味。
 三行目はそのようなエロイーザの心境を代弁したもので、思い煩うことのない清い心とは、永遠に輝く太陽のようにいつまでも美しいと言っている。現世への愛はいつか必ず終わるけれども、信仰心は永遠に輝く、といった意味も含まれている。
 四行目は、そのような信仰に基づく祈り(pray)はすべて神の御心によって叶えられるし、それによって世俗的な願い(wish)などすべて捨て去ることができるようになる、ということ。エロイーザの願いとはもちろんアベラールと添い遂げることなので、神への愛に目覚めれば、アベラールのことをポジティブに諦めることができるよ、と言っている。
 と、いうわけで、ポープの詩のトーンは「現世の愛」の辛さ・苦しさという誰もが経験する部分を前置きにして、それを乗り越えるために神への愛に目覚める、という仕組みになっている。これがロマン派なら、「いやいや、神への愛なんていう超越的なものに縋れずに苦しみ続けるのが人間らしさだ」となるのだが、そのような人間性から神的なもの、永遠へとステップアップするイメージがいかにもポープの古典主義的なところである。もっとも、ポープの素晴らしさはその理想主義的な面にではなく、本当に人間のなかに「永遠」があるのだというある意味超ポジティブな人間主義と、それを読者が信じてしまいたくなるほどに美しい詩を書く彼自身の天才的な言葉のセンスにある。
 というわけで、Eternal Sunshine の(一応)正しい訳でした。


 

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