中野翠『小津ごのみ』

 小津安二郎について、人とわかり合うことはかなり難しい。私が猛烈に愛している監督に、ジョン・カサヴェテスという人がいるが、カサヴェテスに関してはそれなりに誰もが同じような愛し方をしている気がする。しかし、小津に関しては、どうもある種の先入観のようなものにとらわれている人が多すぎる気がしてならない。例えば、小津を「古き良き日本人」を描いた監督だ、というような見方は私には(小津が個人として、古き良き日本というものに拘っていたとか、戦後の日本社会に幻滅していたとかいうこととは別に)作品を語る上では見当違いなものにしか思えない。そういうノスタルジーで人気の監督に、山田太一という人がいると思うが、私は山田太一の作品が大嫌いである。山田太一も小津安二郎も「古き良き日本」が描かれているから好き、という人がいるとすれば、それこそが私の思う「小津を勘違いしている人々」の代表である。
 そういう勘違いを真っ向から否定した人に、蓮實重彦がいるが、そんなに大上段から構えずとも、「小津ってこういうものでしょ」とおしとやかに、しかし恐ろしいほどに的を得た語りのできる人がいる。それが中野翠さんである。
 私は中野さんのことを、この本を読むまで全く知らなかった。エッセイストらしい、ということと、『小津ごのみ』といういかにも感性でものを考える人がつけそうなタイトルから、正直私は否定的な観測でもって本書をひらいた。それがまったくもっていらぬ心配であったことは、読み始めてすぐに判明した。中野さんは蓮實重彦のようにアカデミックな人でも、そうした切り口で映画を論じる人でもないのに、その文章のどれもが小津映画の核心をズバリ指摘するような鋭いものだった。
 私は自分が小津について考えてきたことのほとんど全てが、中野さんによって語られてしまっていることに驚き、しかもそれはなかなか言語化するのが難しい――というのも、優しさとか、悔しさとか、悲しさとか、小津の描きたいものはいつも言語するギリギリ手前で人々の間を行き来する霧のような感情だから――のに、中野さんの文章はなんの苦労の後もみせずに平易な言葉で表現してしまうのである。
 そうした小津映画の本質をつく考えの数々を支えるものとして、本書の美徳は次の三つにあると思う。一つ目は、中野さん自身の時代風俗に関する考察、着物や小間物、障子といった事物から、男や女の仕草、外見、言葉遣いといったものに至るまで、かなり細かいことにまで目が行き届いた考察。私のように着物文化などとは無縁に育った世代にとって、こうしたことはいちいち勉強になった。二つ目は、小津の初期映画から晩年に至るまでをかたよりなく射程に入れた上で、小津を論じている点。『晩春』以後の小津だけでは、小津の本質は絶対に分からない。三つ目は、中野さんが映画を観る時の、とにかく真摯に作品と向き合う態度。映画とは「そこで何が起こっているのか」をまずしっかりと見つめることが難しいし、一番大切なことである。時折、中野さんは研究者が持ち出す素っ頓狂な解釈――とりわけ俗流フロイト主義のようなもの――に対して苦笑しつつ、自身の考えを述べているが、研究者というのはまともに「何が起きているのか」を理解することもできない人ほど、理論に頼って小難しいことを言いたがるものである。その点、中野さんのように映画を観れるというのは、並大抵の研究者にはない、優れた才能である(個人的には、そのような才能のない人が研究者をやること自体に問題を感じている)。
 『東京物語』の作品解釈には、本当に100%同意した。
『東京物語』の中心に流れるのは、親子の心のすれ違いのドラマだ。老夫婦は思っていたほど子どもたちが世間的に成功していないことを知り、内心ひそかに落胆する。子どもたちは今や自分の生活が一番大事で、知らずしらず親を傷つけている。親子の間でも隠然とエゴの攻防は展開しているのだ。
この「エゴ」というやつが、実はあの自己犠牲的なヒロイン・紀子にも流れているところが、『東京物語』のキーである。そしてそこに、戦後という問題が重なっている。息子たちは、戦後の世界でどうにか成功することに必死である。彼らからすれば、戦争の「トラウマ」などというものは、さっさと忘れてしまいたいものでしかない。両親たちは、戦後の世界というものにどうも馴染めないと感じ、自分たちの居場所がなくなってしまったことに驚きながら、それでもどうにかやっていくしかないと思っている。戦争は彼らの時代と現代とを分かつ楔となってしまったが、そのことに戸惑っている。そして、紀子という人は、現代に生きる若者でありながら、未だ戦争にとらわれている。その紀子が、義父から感謝され、再婚して幸せになって欲しいと言われると、つらそうな顔をして、「わたし、狡いんです」と言って泣く。なぜか。
 紀子は亡き夫と暮した部屋に今も住んでいる。心の半分は戦前に残っていて、「今」とうまく向かい合えない。宙ぶらりんの孤独。それでも時は容赦なく過ぎてゆく。あの大きな戦争も、亡き夫の思い出も、坦々とた日常の中に呑み込まれてゆく。
 紀子は老夫婦をしんそこ愛している。まごころで接している。けれど聡明な紀子は自分の心のトリック――かすかな偽善にも気がついている。けなげな嫁、感心な未亡人として老夫婦に尽くすことで、今の自分から逃げることを楽しんでいるのではないか、あの大きな悲劇が今や日常の中に呑み込まれていっているのを認めるのがおそろしくて、ことさらに老夫婦に縋りついているのではないか……と。
 これはつまり、トラウマとは忘れられないことだけが苦痛なのではなくて、忘れてしまう自分が許せないことにも悲劇がある、ということである。被害者は、生き残ってしまったものは、死んでいったものたちのことを忘れる自分が許せない。今を楽しく生きることが、どうしても自分を「狡い」ものにしてしまう気がする。そういう苦しみを、紀子は味わっているのである。米国の作家ポール・オースターは 9・11 で大切な人を失った父娘を描いた The Man in the Dark という作品で、二人が『東京物語』を観るシーンを挿入した。その意図は、上記の中野さんの文章から明らかだろう。
 日本で3・11地震の後、多くの人文系学者が授業で3・11をとりあげて、あの悲劇に人文系学問からどのような応答ができるのかを探っていた。私には、このようなそれ自体反復強迫的態度を人文系の学問がとってしまうこと事態が一番の問題に思えた。なかでも、多くの知識人が繰り返す「いかにして事件を埋もれさせないか」「事件の記憶を留めるべきか」といった論調にはうんざりした。そんなことを必死に語れる者たちがいるとすれば、それはほうっておけばいつの間にか忘れてしまうような恵まれた立場であの事件に接したものたちだけではないだろうか。私はむしろ、のんきな知識人たちが「忘れるな」「忘れるな」と呪文のように繰り返すその言葉が、「生き残ってしまった者たち」への文字通り呪いとなってしまうようにしか思えなかった。忘れられるものは幸いである。しかし、平和な時代を生き、楽しい時に笑い、美味しいものを食べて舌が喜び、あるいは新たな人を愛し快楽を味わうこと――そのように当たり前の生を享受すること自体を罪として感じざるを得ない者たちがいるのである。
 話がいささか逸れてしまったが、『東京物語』の優しさとは、そんな「生き残ってしまった」紀子の涙を、やはり戦前の「生き残り」でしかない義父が受け止める、その間に漂うものなのである。


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