吉田喜重『小津安二郎の反映画』

 とても面白く読んだ。著者は「きっと小津さんは」を繰り返しながら、「道化と諧謔の人」としての小津がこの世界を、そして映画というものを徹底的に「無秩序」なものとして認識していたのであり、それこそが彼の創作の原点なのだという断定の下に小津映画を論じてゆくのだが、その断定そのものの根拠はまったく記されることはない。いわば、作者自身が結びで述べているように、この本そのものが一種の虚構の小津論となっている。しかし、小津を語る方法論としてそのようないささかアクロバティックな手段に訴えなければならないのも、分からないではない。小津映画とはまさに、「虚構を通じて虚構としての現実を語るもの」にほかならないからだ。
 その意味で、このいささか冗長で反復に満ちた書の白眉と私が思えるのは、「記念写真と家族ドラマ」と題された章だ。戦前の『戸田家の兄妹』に始まり、戦後の小津作品は全て一種のホームドラマである。なぜ、小津はその形式に病的なまでに拘ったのか(僕はトウフしか作れない、という有名な発言とも合わせて考えたい)、それは家族こそが人間社会の「虚構としての現実」をもっとも強烈に感じさせる題材だからだ。いささか長くなるが、以下引用――
 言うまでもなく家庭の正常なありようとは、家族同士たがいに家族であることを意識しないことにある。父が父であり、夫が夫であるかぎり、家庭は平穏無事であり、こうした平凡きわまりない日常の反復はとうていドラマの対象とはなりえなかっただろう。従ってホーム・ドラマが可能であるためには、家族とはなんであるかが強く意識される必要があり、父は父らしくなく振る舞い、夫は夫らしくなく行動するときであった。それは取りも直さず家庭の不和、その崩壊を前提としており、そうした状況を設定しながら、やがてはハッピー・エンドに至るという作為的なまやかしによって、ホーム・ドラマはかろうじて成り立っていたのである。
 (中略)
 『戸田家の兄妹』の冒頭に見られる、母の還暦を祝って家族が記念写真をうつすシーンに隠された意味が、いっそう明らかになってくるのではないだろうか。日常のたたずまいとは異なり、家族がつどいあう儀式の場にかぎって、家族は家族であることを意識し、誰にはばかることなくそのように振る舞うことが許される。たとえばそれが妻の葬儀であれば、夫は亡き妻のために涙を流し、子供たちも母をしのんで泣く。それが華やいだ結婚式であれば、父は嫁ぎゆく嫁との別離に心ゆくまでその悲しみを表わし、娘もまた娘としての役割をみごとに果たして、言葉すくなげに父に感謝の挨拶をする。
 おそらく小津さんがその後の作品、『晩春』や『秋日和』、あるいは遺作となった『秋刀魚の味』で、娘の結婚式を繰り返し描きつづけた理由もここにあったのだろう。家族が家族であることを意識しないことが、家族の正当なありようであるという、ホーム・ドラマを否定しかねないジレンマをかろうじて乗り越え、家族が家族らしく振る舞い、演じることが許され、歓迎されるのが、人間の儀式というものにほかならなかったのである。
それゆえに、夫に先立たれた嫁という家族/他人の曖昧な位置にいる娘を軸としたホーム・ドラマである『東京物語』は傑作となるほかなかった。そして、そのような「他人の眼差し」こそが、小津のドラマ性であると言っても過言ではないだろう。本書は吉田喜重が病床の小津からおくられた「映画はドラマだ、アクシデントではない」という言葉から始まる。以上のことを踏まえて、この言葉を私なりに解釈するならば、「アクシデント」が単なる意外性であり、秩序を揺るがすように見えてむしろその反復に資するものであるのに対して――たとえば、家族が怪我をするというアクシデントが普段はそっけない家族を束の間、愛に満ちた関係へと結束させるように――ドラマとは、そのような一見ゆるぎない秩序とそこに安住する私たちの「虚構性=パフォーマンス」を前景化させるような「異常事態=他者との出会い」なのである。


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