La La Land

 最近はかなり暖かくなってきて、大学も Spring Break に入ったのですが、なんと今日は雪。とはいえ、それほど積もったわけでもなく、気温もまぁまぁ暖かく、春になる前に最後の銀景色を楽しんでくれよ、という冬からの粋な別れの挨拶だと思いたいです。
 最近いろいろ忙しいのですが、今日はもう休みということにしてしまいました。家にいても面白くないので、かなり久々に映画館にでも行くか、ということで、なにかと話題の La La Land をついに見てきました。

 ミュージカル映画が大好きな自分としては公開前から気になってはいたのですが、いかんせん監督デミアン・チャゼル君の前作『セッション』がかなり微妙な出来だったので、そこまで期待はしていませんでした。が、結論から言ってしまうと、生涯ベスト5に入れてもいいぐらい感動してしまいました・・・わはは。

 正直、ミュージカル映画としての質はそこまで高くないんですよ。これは監督が意図したことなのかなとは思うんですが、「歌」が素人っぽい、つまりあまり上手くない。で、さらに駄目なのは、主演二人のダンスシーンはぜんぜんリズムが合ってない。練習する時間がなかったのがバレバレで、撮り方からしてアステア&ロジャースなんかの往年のミュージカル映画を意識しまくっているぶん、余計に残念な感じがしてしまう。歌が素人くさいのはフレンチ・ミュージカルを意識したのかもしれないが、主演の二人に関しては単に下手なんじゃないかと思う。
 それと、チャゼル君の「ジャズ」理解に関しては相変わらず酷い、笑。ライアン・ゴズリングはモダン・ジャズ狂いという設定なのに、彼のプレイはなんちゃってクラシックみたいなムード音楽。途中で「ケニーGなんかダメだ!!」というシーン(「あるある」すぎてめちゃくちゃ笑った)があるけど、「いや、お前の音楽はもっとジャズじゃないじゃん」と突っ込まずにはいられない。冒頭でJ・K・シモンズの経営するバーを首になるけど、あのときもなぜか、クリスマスソングなんてジャズの定番中の定番なのに謎のクラシック調の演奏を「嫌々」やった後、「これが俺の本当にやりたい音楽だ―!!!」という感じで「ラフマニノフもどき」みたいな演奏をするという・・・しかもどうやら脚本上は「フリージャズ」になるらしい。チャゼル君、あなたジャズ聴いたことないでしょ!!笑
 あと、ジョン・レジェンド(今、私が一番好きなポップ歌手の一人)のバンドに参加したときも、DJとか電子音楽を取り入れてることに否定的なのはいいとして(ちなみに今最先端のジャズはモダンジャズのイディオムを完全に消化した上でヒップホップやエレクトロニカをガンガン取り入れている。その辺をジョン・レジェンドが説教するのは脚本上とても重要なシーン。詳しくは後述。)、いざツアーに参加したらなぜかベタベタというかクッソダサい70年代〜80年代のファンクバンドみたいな音楽やってるんですよ。いやいや、こんなバンド流行るわけないでしょ!

 と、ツッコミどころは数限りないのですが、この映画はそんなことどーでもいいぐらい後半〜ラストにかけてが最高すぎるんですよ。
 La La Landというのは、LAを意味するのと同時に、「人生なんてラララー」(大学時代に通っていた飲み屋の女将さんの口癖でした)という感じの「夢見がち」な人々が集まる街=夢の都としてのLA(ハリウッド)という意味が込められている。で、ミュージカルというのはかつてそのハリウッド最高の産業の一つであり、映画ジャンルとしても最高に夢見がちなものであったわけです。しかしながら、ミュージカル映画が作られ始めた30年代というのは実際にはアメリカは大恐慌真っ只中であり、40年代には大戦と赤狩りの時代へと突入してゆきます。非現実的でロマンティックな「夢」の世界への熱狂の背後には、残酷で厳しい「現実」があった。
 私がLa La Land 最高だな、と思うのは、そうした「夢」やミュージカルであったりジャズであったり、そして究極的には「過去の恋愛」といったものへのノスタルジーといったものを――それらは結局のところ現実の前には脆くも崩れ去るしかないものとしてきちんと描いているにも関わらず――決して否定しないところです。ラストシーンは文字通りアリ得たかもしれない世界を「夢見る」わけだが、それが決して手に入ることのあり得ない夢であったとしても(エマ・ストーンに子供がいるところが、現実の揺るぎなさを担保している)、そんなことは構わないぐらいに美しい世界がミュージカルという媒体によって表現されている。

 夢というのは、それが手に入らないから夢なわけで、たとえばエマ・ストーンはこの映画で「役者として成功する」という夢を叶えるけれども、それは彼女が「無名の役者」だった頃に夢見ていた世界とは少なからず違っているはず。『イヴの世界』が描いたように、女優という華やかな世界でさえも、「その場所」に立ったときには、既に現実が見えてしまっているのである。実際に映画はエマ・ストーンの「夢が叶った喜び」というものをほとんど提示していない。それは恋がいつしか生活へと変わっていくのと同じように、もはや彼女の夢ではなく生活なのだ。
 ミュージカルを、あるいは映画を見る観客も、出会ったばかりの恋人たちも、みんな夢を見るわけだが、その夢は必ず覚めて、そして再び凡庸な現実へと帰っていく(いまちょうどブロードウェイでやっているテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』はそれをテーマとして描いた最高の作品の一つです)。しかしながら、人は凡庸な現実に、ただ凡庸に所属しているわけでもない――ここが重要なところで、私たちは夢を見ないで生きるということなど決してできないというのも、真実なのです。我々は毎朝、強制的に夢から覚めるわけですが、ある意味、もう一度夢を見るために人は生きているのだとも言えるでしょう。

 La La Landで、ライアン・ゴズリングがジョン・レジェンドに「お前みたいに過去ばっかり見ていたら、ジャズは終わってしまう。ジャズは未来に進んでいく音楽なんだ」といったようなことを説教されるシーンがあり、それは音楽論としてはまったくもって正しいのだが、この映画はそのように「過去」に囚われたライアン・ゴズリングを最後に全肯定している。時間は前にしか進まない、ということは、究極的には「私たちはみな死ぬ」という現実を突きつけるわけだが、私たちが日々思い抱く夢や、かつてあった幸せ、かつてあったかもしれない幸せへのノスタルジーというのは、そうした「一つしか無い生」に無限の可能性を付与してくれる。結局のところ、夢を見ていた時間こそが、その人の生きていた時間と言っても良いのかもしれない。
 La La Landのラストシーンというのは、そうした夢と現実がくるくると入れ替わりつつ、お互いの境界が曖昧になるような人生の真実を、ミュージカルや映画という装置そのものに託しつつ物語った、奇跡的なシーンと言えると思う。もちろん、こうした作品が他にないわけではなくて、たくさんあるし、そのどれもが素晴らしい。例えば、『ペーパームーン』(これも大恐慌時代と白黒映画へのノスタルジーに満ちた作品だ)では、主人公二人が「親子」なのか「他人」なのかはっきりしないままに、「親子かもしれない」世界を演じ続けることを選び取ることで夢が現実を乗っ取ってしまう(「紙でできた月だけど」「あなたが信じてくれるなら」「それは偽物なんかじゃない」というわけだ)。あるいは悪名高い『ニュー・シネマ・パラダイス』の「主人公が切り取られたキス・シーンを連続で見るシーン」も、本来は映画の中の「演技」でしかないものが、人間の数え切れないほどの愛の営みの「証し」として降り注ぎ、「映画があるから人は生きるのだ」という逆説的な真実を提示するからこそ、あれほどまでに感動的なのだろう。

 実は、エンディング前にも号泣してしまったシーンが前半にあって、それはエマ・ストーンが映画館のスクリーンの前に立って、観客席のライアン・ゴズリングを探すところ。これまた映画ファンからは嫌われそうなシーンだけど笑、あれは二人がついに本当に恋に落ちてしまうシーンで(特にエマ・ストーンはつまらない恋人=現実から逃げ出してくる)、キャメラがライアン・ゴズリングの視点を借りてエマ・ストーンを見つけた瞬間、映写機からの光が彼女の顔に反射して、その顔を白黒のくっきりとしたキアロ・スクーロに染めてしまう。本当に一瞬しかないカットなんだけれど、「運命の人」に出会う=現実と夢が混じりあう瞬間が、現実と映画が混じりあう瞬間として視覚的に表現されていて、素晴らしかった。その時は偶然かな、とも思ったんですが、最後まで見てあれは絶対に確信犯だったろうな、と思えた。

 私たちは詩を知ることなく愛の言葉を囁くことはできないし、絵や写真を眺めることなしに世界に美を見出すこともできないし、映画を見ることなく人生を生きることはできない。例えばこんな風に――

私が最も好きな映画の一つ、『キートンの探偵学入門』のエンディング。当然著作権は切れているので、未見の人には是非全編を見てもらいたい。


 あ、最後に、La La Landは「ミュージカル」映画だけど、実はLAのもう一つの顔である「ハードボイルド」映画でもある。全てを耐えて、夢はかならず覚めると知りながら、それでも夢の世界に酔ってみせる、あるいは人々を酔わせてみせる――ライアン・ゴズリングの生き様と彼の夢である「ジャズ・クラブ」は、完全にハード・ボイルドの世界だった。
 ハリウッドで時代遅れのクラブを経営しながら、そんなささやかな夢を守りつつ年老いたライアン・ゴズリングがどうなるのか――そのことに興味の有る方は、是非ジョン・カサヴェテスの『チャイニーズブッキーを殺した男』をご覧あれ。

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