小津ノート 1

 こんなタイトルでいいのかとも思ったが、とにかく最近、小津映画をまとめ見したのでこれから時間があるときに少しでも考えたことを残しておこうと思う。小津は戦前のサイレント期から作品を取り続けてきた息の長い作家だが、一般に「小津映画」として理解されているのは1949年の『晩春』から遺作となった62年の『秋刀魚の味』までの13作であろう。この間、難産となった『早春』と大映で(私には片手間にと思える)撮った『浮草』を除けば、ほぼ年に一作をコンスタントに生みだし続けた。私もまだ『晩春』以前の作品はほとんど鑑賞できていないので蓮實重彦的に言えば小津を語る資格がないのかもしれない――が、しかし同時に、彼の呼ぶ「小津的なるもの」に目をくらまされて「小津映画」そのものを見ていない、といった症状には当てはまらないという自負がある。私が初めて小津映画を観たのは『麦秋』で、その後に『東京物語』を観て、その時点で私は世間で言う「小津的なもの」とはまったく無縁にこれらの作品に驚嘆してしまった。以後、他の作品を見るたびにそのときの印象の正しさが確証され、結局のところ今後どれほど小津を見ようとも私にとっての小津映画の本質が揺るぐことはないだろうし、『麦秋』と『東京物語』こそ彼の最高傑作だという表面的にはまったくもって凡庸な見解を修正する必要に迫られることもないだろうと断言できる。
 小津の本質――それは彼の作品が決して古き良き日本といったノスタルジー(小津的なもの)でも戦後世界からの現実逃避(反小津的なものが糾弾する部分)でもない。小津の世界は私たちがよく知っているような気がするある特定の時空に「よく似た」どこかで展開される非常に抽象的なものである。そしてこの抽象性こそが、一見、戦前的な家父長制(とその衰退)といういかにも戦後日本的な物語がとてつもない普遍性を獲得し得る所以である。よく言われる小津の「諦観」というのも、人間とは全てこのようなものでしかあり得ないのだ、という超越論的な普遍性であり、それは非常に「ポジティブ」な断言である(※1)。例えば『東京物語』。そこには古き日本を象徴する親世代と、新時代にしたたかに生きようとする子供世代との断絶があり、それを架橋する存在としての原節子がいる。だが、このような構図は単に同時代の日本の情景を小津が借用したにすぎず、この映画の主題ではない。そもそも小津は、子供世代のエゴイズムだけでなく、親世代のエゴイズム(家事は妻に任せるのが当然で、子どもは見合いに出すのが当たり前の父親といった姿を通して)をも描いている。小津的に言えば、あらゆる時代の人間は、常に社会の偏見を共有し、多かれ少なかれエゴイストである。映画の主題は、そのような「自由ではない人間」が自らの意志によって「他者」に向かい合い、尊重することはできるのか、できるとすればそれはどのような形で可能となるのか、という問いである。そして、そのような他者と常に向き合う存在が原節子なのである。私たちは、原節子と笠智衆演ずる義父母が一つの食卓を囲み、互いに「ありがとう」を繰り返すシーンを、単なる戦後的ノスタルジーとして片付けることはできない。なぜなら、この瞬間こそ、私たち不自由極まりない人間が自発的に、他者を労り理解しようとして言葉を交換する、奇跡のような時間にほかならないのだから。
 複数の人間が互いに同じ空間に立ち、言葉を交わす――ただそれだけのことにあらゆる哲学を、あらゆる自由と共存の可能性をかけた問いを生み出せる、そのような天才的映画作家。それがジョン・カサヴェテスであり、小津安二郎である。




※1
ここで注意しておきたいのだが、私は小津個人についてはほとんど問題にしていない。彼個人について言えば、おそらく保守的で、古き日本へのノスタルジーをもち、諦観をもって生きていただろう。だが、そのような小津個人の思想を脱構築してしまっているのが彼の作品であり、それはまたあらゆる優れた芸術とその作者の関係に見いだせることである。







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