The Awakening (1899) by Kate Chopin

 小説としてはかなり短いながら、アメリカ文学史的にはかなり重要な作品。ニューオリンズの風俗やクレオール文化がかなり詳細に書き込まれていたり、主婦の不倫という題材など女性小説・リアリズム小説の典型でありつつ、モーパッサンなんかに影響された叙述の精緻さと悲惨なストーリー展開から自然主義文学ともみなされ、かつ形式的な側面ではモダニズムの萌芽もみられる。そもそもこの三つの文学潮流が一つの作品にまとまっているところが、いかにも「文化後進国」としてのアメリカらしさである。
 終わり方はかなり唐突で、うっかりするとエドナが死んだと断定しかねないが、実のところ彼女がどうなったのかは判然としないように書かれている。最後のほうのパッセージなどは、ジェイムズ的な心理的リアリズムも用いられている。このへんを「雑」ととるか「モダニズム的」ととるかは評価の分かれるところだろうが、私的には両方とも正しいと思う。
 エドナはケンタッキー州に生まれ、ミシシッピ州ので競馬牧場を営む祖父のプランテーションで育つ。彼女は度々、自然に囲まれた幼少期を懐かしむ。自然へのノスタルジーは都会での孤独な生活と対になっており、父権的文化によって抑圧される彼女の孤独な自我にとっての理想でもある。このように「文化」によって去勢される「人間の本姓」を描き、それによって社会や文化を批判するというのは、ジャック・ロンドンやフランク・ノリスによって完成されるアメリカ自然主義の方法である。それはまた、エドナの「涙」や彼女が繰り返し語る「ソウル」が実際に何を意味しているのかが判然としないこと、あるいは説明しようとしてもどこか余剰を残してしまうことともつながっている。自然が常に文化の「後」から発見されるように、エドナの自然が常にノスタルジーであるように、それは文化の側からは語りきれない余剰としてのみ把握されるからだ。
 自然主義的に言えば、ロバートとの関係が許されないものであるとして、エドナがその関係によって「孤独」が癒される期待して没入してゆき、家庭が崩壊しロバートとの関係も破綻してゆく――といったプロットになればさらなる傑作となったのであろうが、そうならないところで、いわばエドナが崩壊へと突き進むのかそれとも家庭へと戻り自己を滅するのかという二択のところで終わってしまうところが、この小説のプレ自然主義的な性質――良く言えば「多様性」――である。









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