ブニュエル『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972年)

 本だと、買っておいて読まない「積読」、ゲームだと「積みゲー」というのはよくあることですが、僕の場合、一時期TSUTAYAから大量に借りてDVDにコピーだけとって見てなかった映画が大量にあったので、そういう意味では「積み映画」というのもあります(法律的にはNGなんでしょうが、まぁどうせもうDVDで観ること自体ないので)。
 『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』はそんな積み映画のなかでも、ずっと心にひっかっかていた一作。ちなみに、視聴方法は配信サービスのFilmstruck。ここはCriterionと契約していて、僕が観たい映画を大量に配信してくれるのですが、いまのところアメリカでしか営業してないので、日本に帰ったらどうしようと思っています。

 なんでしょうね、この作品は普通におもしろいです。でもなんか、ブニュエルの映画としてはまぁ「普通」だし、画面の感じとかストーリーの運びとかもフランス映画として「普通」。マイナスに感じるところとか、ダメだなと思うところは全然ないんだけど、なんかいまいち心に刺さるものがない。ブニュエル作品なかでは有名なほうだとは思うんですけどねぇ。ところどころ、登場人物たちがいかにもブルジョワ的な「理屈という屁理屈」を述べているところで馬鹿にしきったかのように騒音を被せてくるあたり、あれが物凄くセンス良いなと思ったぐらいかな。あとは作品の根幹イメージである「炎天下をオシャレしてひたすら歩く主人公たち一行」もいいですね。
 ブニュエルにしては珍しく聖職者のオジさんが普通に良い人として描かれている。最後にとってつけたように「復讐殺人」を犯しますけど、カソリック批判としてはぜんぜん生ぬるいですよね。
 例のごとく四方田犬彦の『ブニュエル論』を紐解いてみましたが、正直、四方田氏もこの作品を評価するのには苦労したのではないかと勘ぐってしまう内容でした笑。だって、自分でも述べているとおり、『皆殺しの天使』から10年近く経っているのに、やっていることがほとんど同じ。では何が変わったのかという問いに対して、「ブルジョワ内部の差異により意識的になっている」というのは、まぁたしかにそうだと思いますけど、「意識はしてみたけど別に深く追求しているわけではない」程度だし、そのぐらいのことをやるのに何年もかかるというのは、普通に作家としてダメではないでしょうか。
 とはいえ、そもそもブニュエルの映画って金太郎飴みたいに何を観ても同じことしかやってない、みたいなところもあるわけで、ブニュエルファンとしては別に「同じだからダメ」っていうわけでもないんですよ。ただ、そうなってくるとおそらく、「なかなか食事にありつけないブルジョワたち」というこの作品のモチーフが、「貧しい人々に施しをしようとしてレイプされかける聖女」とか「パーティーしてたら屋敷から出られなくなって動物化するブルジョワたち」とか「四十過ぎた足フェチ童貞男が嫉妬に狂ってミザリーする」みたいな他の映画にある強烈な設定に比べると、弱かったとしか言いようがない気がします。
 まぁ、四方田氏の論評も、「なぜこの作品に亡霊が頻出するのか」という結構大事なモチーフについてはほぼ黙殺しているので、そこらへんの読みどころが見つかればこの作品の評価も変わるかもしれません。

コメント

人気の投稿