The Teacher (Jan Hřebejk; 2016) と All I See Is You (Marc Forster; 2016)

 大学でしょっちゅう映画祭的なものをやっているのですが、今回、友達から通し券をもらったので片っ端から観ていくことにしました。これから毎週、金曜の夜に二本立てで鑑賞していきます。

 ということで、昨日はともに2016年に公開したチェコ映画とアメリカ映画を観てきました。チェコ映画のほう、Jan Hřebejk監督の The Teacher は冷戦末期83年に郊外の学校に赴任してきた「トンデモ教師」をめぐる物語。詳細はググってもらえばわかると思うんですが、地味な映画なんですけど舞台劇のような濃密さがあって、「うっざ〜〜い女教師」を主演したZuzana Mauréry(どうもチェコでは大スターのよう)の超名演もあり、観終わったあとに数百人はいた観客から一斉に拍手が起こるほど面白い映画でした。
 実は自分も、小学校5年だったか6年のときに、こういう「依怙贔屓する問題教師」が担任になり、しかも映画同様、親たちが話し合いをした結果、担任を変えてもらった経験があります。もちろん、映画の教師ほど酷い人ではなかったけど、髪型とかファッションとか雰囲気はそっくりな人でした。
 映画は全体主義や独裁政治が生み出す「どんな不条理も正論としてまかり通ってしまう」「言葉や論理の持つ暴力性」をテーマにしていると思うんですが、別に当時のチェコの状況に当てはめなくても、映画で描かれたような「理不尽」な状況というのは現代の日本でも程度の差こそあれ非常によくあることだと思います。僕は会社勤めとかしたことないんですけど、よくある「サービス残業はあたりまえ」とか「先輩が帰るまで帰れない」みたいなのも、単に不条理なだけでなくそれに対して異議を唱えること自体が「非常識」みたいなイデオロギー的な抑圧があるところが、映画の描く共産主義の不条理とすごく似通っていると思います。映画で女教師の味方をするお高く止まった親連中の鼻持ちならないエリート主義なんかも、日本人にはお馴染みですね。
 もうほんと観てるあいだ中、ストレスたまりっぱなしになりました(でも面白いんだけど)。

 もう一本の All I See Is You は、本当の意味でストレスが溜まる映画でした(笑)。細かい所をみていけば、けっこう面白い映画ではあったんですけど、まぁ「自分探し系」映画にありがちの主人公と監督がどっちも「自分に酔ってる」感じがモロに出ていて、恥ずかしくて観ていられない作品でした。僕としては、この種の自分探しというのが「普遍的な現代人」の共感を誘っているようでいて、どうしようもなく「アメリカ白人」の物語にしかならない、という毎回繰り返されるパターンを分析してみたい衝動にかられました。たとえば、最近観てけっこう良かったマット・デイモン主演の Downsizing なんかもそうですけど、アメリカ人って「ウェーイ系」「陽キャ」の代表みたいな感じでいるわりに、常に 「凡庸」で「つまらない」自我を抱えて苦しんでますよね。そこにピューリタニズム以来の根深い生真面目さを感じるというか。たとえば、世界中どこを旅行してても、だいたいアメリカ人ってすぐわかるんですよ。どくとくの傲慢でウザいノリがあるので。でも、その鬱陶しさと同時に、「あーなんか無理してんなぁ」っていう感じも受けるんですね。躁鬱病みたいなものなんでしょうか。フィッツジェラルドが30年代に書いた短編で "One Trip Abroad" っていうのがあって、白人のアメリカ人カップルが新婚旅行ではしゃいでる内にどんどん欝になっていくっていう話なんですけど笑、それなんか僕が感じていることをすごくよく捉えてる気がしますね。

 というわけで、映画祭シリーズ、初回は一本はアタリ、一本はハズレでした笑
 ではまた。








コメント

人気の投稿