成瀬巳喜男『流れる』(1956)

 『流れる』は1954年に発表され高い評価を得た幸田文による同名の小説を元にしている。私は恥ずかしながら幸田文をまともに読んだことがない。いつも彼女の文章が断片的に引用されているのを目にしては、「なんて良い文章を書く人だろう」と思って、いつか作品に目を通そうと思いつつそのままになっている。今回この映画を観ようと思ったのも、原作が幸田文だったからだ。

 成瀬巳喜男の作品は、戦後まもない原節子主演・林芙美子原作の『めし』(1951年)、同じく原節子主演で川端康成原作の『山の音』(1954)、林芙美子原作で高峰秀子主演の『浮雲』(1955)を観たことがある。いづれも古き良き日本の情景や人々の生活が丁寧に記録された作品で、押しも押されもせぬ名役者が勢揃いしていることもあって非常に興味深い作品ではあった――が、どうも脚本の面で私にはいまひとつ好きになれないところがあった。西欧的な恋愛観と日本的な家族観の対立や、夫婦の性の問題を扱った『山の音』の筋書きは面白かったが、どうも映画化するには話が複雑すぎて消化不良に感じたし、林芙美子原作の二作はあまりにも女性の生き方が一面的に描かれているのが気になった。向田邦子の作品などもそうだが、女性作者の作品がむしろ反フェミニズム的・家父長主義的になってしまうことはよくある。ようするに、男の中にも神話としての「武士道」や「愛国」に染まるアナクロニスティックな作家がいるように、女の中にも「耐え忍ぶのが女の人生」「家庭の守り手としての妻」といった神話に殉ずるのを良しとするタイプの作家がいるということだ。こうした作家は、家父長制の下で弾圧される女の状況を、「あえて自ら進んで身を犠牲にする」敗北の美学によって肯定しようとする。成瀬巳喜男はしばしば小津と並べられたが、これら三作を観る限り、その資質は対極、あるいは意地悪な言い方をすれば成瀬は「俗情と結託した小津」にしか見えなかった。

 とはいえ、日本を代表する映画作家の作品をたかが三作品程度で決めるわけにはいかないし、細かなドラマの作り方などには十分にレベルの高いものがあったので、成瀬作品をもう少し観たいと思っていたところで、この『流れる』を選んだ。言ってしまえば、これまでの成瀬作品の弱点は「原作」だろうと見当をつけていたので、幸田文なら大丈夫だろう、と思った次第である。
 果たして、『流れる』は素晴らしい作品だった。話は、東京の伝統ある置屋「つたの屋」を舞台に展開する。そこに新しくやってきた女中の梨花(田中絹代)をいわば視点人物として、置屋の女主人つた奴(山田五十鈴)、その娘勝代(高峰秀子)、妹の米子(中北千枝子)、芸者のなな子(岡田茉莉子)と染香(杉村春子)たちが変化してゆく時代にほんとんど抗いがたく「流されて」ゆく様が物語られる。梨花のキャラクターは、同様に東京の置屋で女中をしていた幸田文自身の経験が基になっているのだろう。
 日本映画界最初期の大女優栗島すみ子まで参加して、とにかく女優陣が豪華である。着物の着こなしや所作一つとってもスキのない演技に圧倒される。例えば、中北千枝子がいつも背中をやや丸めて、指をいじっているところなど、気が弱くものぐさな米子というキャラクターの性格がよく現れているし、逆に山田五十鈴の柔らかな仕草からは、妙齢の女性の疲れた感じや男につけこまれる恋愛体質なのが伝わってくるし、それでいて三味線と唄の技術は熟練の芸者のそれだし、和服の着こなしは非常に色っぽい。
 なによりも、零落してゆく置屋の物語、人に裏切られ付け込まれる芸者(女)の人生のむなしさ、といったテーマからして、山田五十鈴の姿にかつて彼女が演じた『祇園の姉妹』のおもちゃの姿を重ねずにはいられない。彼女は本当に、男につけこまれてしまうタイプの女の演技が似合う。なんというか、彼女は「心の弱い人間」の顔をしているのだ。心の弱い人は、「悪い人」ではない。むしろ、人に同情したり、助けてやろうとしたりする優しさはある。だが、結局のところ悪いやつに騙されたり、流されたり、ついつい仲間を裏切ってしまう、それが心の弱い人だ。小津がこの翌年に公開した『東京暮色』で、男を選んで子供を捨ててしまった母の役に山田五十鈴を選んだのも、彼女が発散するこうした「憎めない弱さ」のようなものに目をつけたんではないだろうか。

 成瀬と小津をあまり比較したところで仕方がないけれども、小津だったらおそらく田中絹代をもっと上手く活用しただろうな、とは思う。せっかく置屋の内と外を媒介する視点人物としての田中絹代がいるのに、映画はラスト以外であまり彼女の存在を活かせていない。そのせいで、全体としてやや締まりに欠ける印象の作品となっている。ただ、このスケッチのようなゆるさが成瀬の味なのかもしれない、という気もしている。

 次は『流れる』直前の原節子主演『驟雨』(1956)と私が一番好きな女優・淡島千景主演の『鰯雲』(1958)を観たいのだが、どちらもDVD化すらされていない模様(後者はフランス版があるが、アメリカに発送できるものがないor高すぎる)。
 実のところ、日本では成瀬巳喜男作品はせいぜい10作ほどしかDVD化されていない。CriterionがDVD化しているのが20作弱。日本を代表する作家の作品をまともに観る機会がないというのは、非常に悲しいことだ。それに対して、成瀬作品を積極的に上映している名画座の自助努力は本当に素晴らしい。クール・ジャパンだのなんだの言っているが、日本政府の文化に対する認識はどこまで貧しいのだろうか、といつもながらに実感させられた。



   

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