センベーヌ・ウスマン『グェルワー』(1992)

 原題は Guelwaarたぶん、生まれてはじめてセネガル映画というのを見た。内容はまぁ、私達がアフリカについて知っている問題が、ほとんどそのまま提示された、ある意味道徳の説話のような話だった。

 撮り方も映画的というよりは、火サスのようなテレビドラマに似ていた。素人同然の役者が多いので演技ができていない、というのもあるけれど、どうも照明がほとんど機能していないように見えた。そのために、どうもテレビっぽい脳天気な画面になっていた(『暴れん坊将軍』とかの、古い日本の風景なのに妙に明るい感じ)。
 
 しかし、ちゃんとセネガルの現地ロケで撮っているようだし、アフリカの太陽が強すぎてああいう画面にならざるをえないのかもしれない。役者たちも、もしかすると現地の素人をたくさん使っているのかな、とも思った。基本的には葬式の話なのだが、セネガルの村や郊外(というかサバンナ)の光景、人々のカラフルな衣服や食事の様子など、まるでドキュメンタリーを見ているようでとてもおもしろかった。役者の大根っぷりも、なんだか日本の役者と似ていて、親近感が湧いた。

 途中で挿入歌がかかるのだが、ブンブン唸るエレキベースとシンセサイザー、男性のヴォカリーゼが目立つ、いかにもフュージョン時代(というかもう少しコテコテの「クロスオーバー」時代)の音楽で、とても良かった(まるで褒めてないような文章ですが、私は当時のコテコテな感じが好きなのです)。

 ところで、私が数年前に出席していた授業の先生は、まさにセネガル出身で、フランスとドイツ高等教育を受け、いまはアメリカの大学で働き、作家として何冊も本を出している超インテリなのだが、彼はまた政治活動家でもあり休みになるとすぐセネガルに取って返してリベラルな運動に勤しんでいる。そういう意味で、映画における政治性はまったくそのまま、2018年の現在にも生きている。楽しい楽しいとは言ったが、これはもっとシンプルにメッセージ性のある映画でもある。そういう部分も含めて、やはり傑作であると思う。

コメント

人気の投稿