「美しい批評家」

 2019年上半期の芥川賞候補作の一つ、小田原ひろし氏の「美しい批評家」に、剽窃の疑いがかけられている。「美しい批評家」は鷲田大学教授で批評家の鈴木アツシ(54)とモデルで作家志望の源ユウコ(32)との出会いと別れを描いた恋愛小説である。作品のあらすじは以下のとおり。

 ユウコは17歳のころに「未曾有の大災害」(2011年東日本大震災を暗示していると思われる) で母を失い、7歳になる弟とともに関東で育った。大学在学中から作家になるために作品を書き始めるも、一向にデビューの気配がなく、モデルをしながら生計を立てるユウコだったが、30を過ぎたある日、自らのトラウマと向き合い、かつての辛い経験を一人称形式で赤裸々に語る短編を完成させ、見事に一流文芸誌『偶像』の新人賞を獲得する。 
 その新人賞の選考委員の一人が、気鋭の評論家として名を馳せていたアツシだった。辛口でめったに作家を褒めないことで知られるアツシだったが、ユウコの美貌と才能にすぐさま心を奪われ、彼女の崇拝者となる。 
 ところが、ユウコの作品が大方の予想通り純文学最高の名誉ある賞「塵芥賞」の候補となり、万事順調であると喜んでいた最中、ユウコはアツシが実は自分の作品を通読しておらず、ただ彼女に近づきたいが一心で作品を褒めそやしていたのであり、新聞などに発表した作品を激賞する文章も、すべて想像力を頼りに書いたにすぎないことを知ってしまう。 信じていたアツシに裏切られ、自分の価値は所詮その美しい顔にしかないのだと絶望した彼女は、アツシのことを授賞式のスピーチで暴露してしまう。その結果、アツシは「批評家による文学の搾取」「当事者である作者から言葉を奪った」などの批判を受けることとなる。それどころか、ユウコまでもがアツシの書評によって祭り上げられた「偶像=アイドル」であるなどという誹謗中傷に晒される。
物語は文壇から抹殺されたアツシが、ユウコと二人で彼女の故郷で新しい暮らしをはじめる決心をし、「よーい、スタート」という掛け声とともに海岸線を疾走するシーンで幕を閉じる。

剽窃があると疑われたのは、アツシの書評について、彼のたった一人の友人である文学研究者タナカが擁護するために発表した文章。これが、早稲田大学の批評家佐々木敦氏が2018年5月30日付東京新聞文芸欄に寄稿した記事の一部をほとんど丸写ししているのではないかというのだ。該当すると思われる部分は以下の通り。

 (前略)これは本物の小説である。むしろ生半可な小細工や技術には目もくれず、ただひたすら真正面からあの出来事に向き合っているさまに感動を覚える。作者は一歩も後ずさりをしようとはせず、逃げていない。こういうことはめったに出来ることではない。
 しかも、作者は実は被災者ではないのだ。北条裕子は東京都在住であり、あの日も、あの日からも東京に居て、これまで被災地に行ったことさえないのだという。しかし、それでも彼女はこの小説を書いたのだし、書けたのだ。書く必要があったのだ。このことはよくよく考えてみるにたることだと思う。これは才能の問題ではない。なぜ書くのか、何を書くのか、というのっぴきならない問題なのだ。小説を書くことの必然性の問題なのだ。
 (佐々木敦「北条裕子『美しい顔』 乗代雄介『生き方の問題』 東京新聞2018年5月3)

次に 、小田原氏の作品から類似部分を抜粋する。

   これは本物の書評である。なにより、作者は実は作品を読んですらいないのだ。鈴木氏は文盲であり、生まれてこの方、本を読んだことさえないのだという。しかし、それでも彼はこの書評を書いたのだし、書けたのだ。書く必要があったのだ。このことはよくよく考えてみるにたることだと思う。これは才能の問題ではない。なぜ書くのか、何を書くのか、というのっぴきならない問題なのだ。書評を書くことの必然性の問題なのだ。(小田原ヒロシ「美しい批評家」)

語順などを含め、小田原氏に責があることは明らかであるように思われる。しかしながら、氏の作品を出版した編集部は昨日、この件に関して「類似箇所は本作の文学的価値を損なうようなものではまったくなく、文学を理解できない大衆からの不遜なバッシングには強い憤りを覚える」との声明を発している。作者である小田原氏もコメントを発表し、「作品を書くというのは大変罪深いことだと認識している。それでも罪を犯さざるを得なかった私こそが真の被害者ではないでしょうか」と強い反省の意思を示している。

 芥川賞を主催する委員会は「本作を候補作から外す必要はない。作品の価値を決めるのは審査員であり、一般大衆ではない」とのコメントを発表し、引き続き作品を候補作として扱う意向を示した。

 この件について本誌にコメントを寄せていただいた文学研究者・石原千秋楽氏によれば「テクストとは引用の織物であり、作者や批評家には好きなだけ他人の言葉を搾取する自由がある。現実とフィクションを混同する無知な大衆のほうが問題だ」とのことである。また、小田原氏の作品を激賞した文学研究者である野崎誤訳氏も「古今東西の傑作を読み通してきた私から見ても、小田原氏の作品は新人とは思えない世紀の傑作であり、特にその日本語の使い方はいちいち適切であり、美しい。類似箇所にしても、剽窃ではなく作品がいかに文壇のタブーに挑戦しているかの現れとして肯定的に評価すべきだ」と述べている。一方、歯に衣着せぬ批評で知られる日本文学研究者渡辺ナオコーラ氏は本作を「そもそも授賞云々する以前の駄作」と言う。「なにより、批評家が美人作家に心を奪われるなどというプロットがあまりにも陳腐。批評家とは作品と客観的な関係を保つべきで、作者が美しい女性であるからといって、批評家と作家という関係をついうっかり忘れてしまうというのはありえない。アツシがユウコに向かって『俺の女になれ』というシーンには身震いしてしまった」。

 果たして「美しい批評家」は芥川賞に選ばれるのか、今月18日の発表が注目されている次第である。

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